米良鹿釣倶楽部について
宮崎県の山奥深く、西米良村という村があります。
明治の初め、この村に住んでいたとある代々神主や行者の家系には、「龍の駒」という大鹿の話しが受け継がれていました。
この「龍の駒」とは、米良(西米良村)の山中から、南は鹿児島県境の霧島山系、北は熊本県や大分県の祖母・九重連山にかけて棲んでいる大鹿で、体つきは牛ほどもあり、しかも、神通力を持っているとされていました。
「龍の駒」は神の使いであると伝えられ、山の神様や時には龍神や雷神を乗せて、1晩に千里(約4000㎞)も駆けるとされていました。
山中で「龍の駒」に出合った人たちは、神のお使いとして、大切に見守り、そしてその場に座り込んで、両手を合わせて安全を祈ったといいます。
その大鹿の特徴のもう1つに、角の形状があります。
「七又」と言われていたその形は、通常の日本鹿の角が丸く、せいぜい多くて三つ叉であるのに対して、形は丸角ではなく主にユーラシア大陸の北部に生息するヘラジカのように扁平であり、又が7つあると言われていました。
明治8年頃のある日、山中に仕掛けられた罠に突然「龍の駒」が捕らえられます。
その体は牛ほどもあり、その角も言い伝えどおり普通の鹿のものとは全く違う形をしていました。
「龍の駒」を捕らえた村人は、供養のために片角を切り落とし、死体の上に土を盛り、丁重に葬り、御祓いをあげてその霊を弔ったそうです。
月日は過ぎ、昭和23年の初秋のこと、地元、宮崎大学の農学博士がその村人の家を訪れ、米良の歴史や生物の話しをしている時、ふと「龍の駒」の角を目にとめました。
後日大学へと持ち出し、角を研究した結果、日本鹿より前の時代から生息していた鹿であるとされ、公式に「米良鹿(学名 メラセルバス セルバチタァス キシダ)」と命名されたのです。
(出典:中武雅周「米良の自然」1984年、34~35ページ)
その後も米良鹿はたびたび九州各地で確認され、今でもその姿を見たという話しがあります。
神秘の動物、米良鹿。
彼らは人間が住まう前からずっと、山々でその生命を繋いできたに違いありません。
ところで、私たちがこの神秘的な話しを知ることになったのは、ひょんなきっかけでした。
数年前のことです。とある大学教授と渓流魚の調査釣行に行った夜、メンバーでお酒を呑み、談笑しながら、教授の体験談に話しが及びました。
「昔、今日行った谷でとんでもない大きさの鹿を見たんですよ!」
それがあまりに突飛だったので、皆が半信半疑に思い、目を丸くしながら聞いていると、山に詳しい1人のメンバーがボソリと言いました。
(文・写真 KUMOJI)
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