風の精霊たちと(ヤマメ・アマゴ調査釣行紀7)

「1人で釣り行ってるとさ、時々、 ”サアッ” って何とも言えない風が吹くんだよね。」


「この前もさ、1人で源頭まで詰めて、そこから林道へ駆け上がった時に俺を包んでくれた風。それはもう幸せで、幸せで。もちろんいい魚も釣りたいんだけど、下手すると同じくらいあの感覚は、ね。」

「あー、それ、俺もおんなじですわ。あの感覚が欲しくって、1人で釣りに行くような所がありますね。」

「アレって、間違いなく何かカミサマ的な感じだよね。」

「うん。俺もそう思います。」

「そして、1人の時じゃないとなかなか出会えない。」

「そうそう!本当に。」


春から続いている小丸川の在来調査。

この日は小丸川水系最大の秘境を軽く覗きに行くつもりだったのですが、ガタガタとした林道は行程の半分くらいのところで完全崩落。

あえなくUターンし、別の支流調査となりました。


そんな晴れた里川でのお話し。


「風がボクに語り掛けてくる~」的なある種のメルヘンさは、50を過ぎたオジサン2人の会話としては若干気持ち悪いかもしれないけど、逆に言うとこの年齢になったからこそ鋭敏に感じられることなのかも、とも思います。


何より、普段はどちらかと言うとイケイケオラオラな関西系のフェス男とこの話しで意気投合出来たことは意外で、新鮮な驚きでした。



「完全なる釣り人」と題されたこのパタゴニアの動画。個人的に大好きで何回も何回も見ています。


ドヴォルザークの「家路」をメインテーマに、ある種のセンチメンタリズムを交え、淡々と語られる1つ1つの台詞にはずっしりとした重みと輝きがあります。


「道具の最高の使い方を学ぶこと」


「常に好奇心を持って、周りに注意を払うこと」


「なぜ釣ることが出来たかを実質的に理解しようとすること」


とか、


「自分が学んだことを他者に教えてはならない」


「それは、川との関係から自分で学んだことではない」「真の観察者ではない」


「誰かが教えてくれたことだけをただやっていても、優れた釣り人にはなれない」

「他の世界で優れた芸術家や音楽家になれないように」


とか。


昔はよく、「釣りは芸術か?」などと腫れぼったいニキビ面の若造みたいなことを考えていたのですが、このアルプスで釣りをしているおじいさんを見ていると何の抵抗もなくうなずくことが出来ます。


また逆に、時折釣りの世界でも使われる「師匠」とか「弟子」とかいうフレーズがイヤで、聞くたびにシラーっと興ざめさせられていたのですが、この動画を見てその理由を改めて確認出来ました。


目の前の自然に対してもっともっと集中・熱中し、対話を試みること。彼らこそ私たちの師匠であり、パートナーであり、精神的なガイドなのだから。


中途半端な人間が教えた釣技なんて、ここぞ!という時には大抵役に立たないものです。


そしてたまには1人で渓(たに)に入ること。友人たちと複数でワイワイガヤガヤ楽しい休日もいいけれど、やっぱりこの釣りの神髄は自然との対話なのだと思います。



最近、もう数年会ってないとある方から「求道者(ぐどうしゃ)みたいになってきましたね。」と言われてとても嬉しい気持ちになりました。


まだまだ全く大したことはないのですが、自分の心のベクトルは確かにそういう方向に向いていると思うから。



目の前の自然と真剣に楽しく対峙(たいじ)して、たくさん頭を使って、お腹いっぱい遊んだら、次の世代にこの自然をちゃんとバトンタッチ出来るよう行動すること。


この日はあまりサンプルを採ることは出来ませんでしたが、これもまた現実。

1つ1つのデータを丁寧に蓄積・解析し、未来の小丸川のために役立ててもらいます。

この日の終わり。


80mはあろうかという大滝から吹きつける風は、圧倒的な神々しさで私たちを包み込んでくれました。


「遊びながら、守る。」


この言葉を胸にこれからも、アルトゥロおじさんに憧れながら釣りを続け、地元の川を守れるよう少しずつ少しずつ進んでいきます。


※この調査は、パタゴニア環境助成金プログラムの一環として行われました。

(文・写真 KUMOJI)





米良鹿釣倶楽部

米良鹿釣倶楽部は、釣りを通じてトラウトの学術研究に対する協力および漁協活動の支援を行うNPO法人です。

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