渓魚歴史浪漫(2) ~最古のヤマメ・アマゴたち~

果たして、ヤマメやアマゴたちが初めて日本列島にやって来たのはいつ頃だったのか、またそれは一体どこで、彼らはどんな姿形をしていたのか。


そしてまた、彼らの子孫たちは今どこにいるのか。


今回はそんなお話しです。


以前、上記のコラムで国内にいるヤマメ・アマゴ等の遺伝系統(グループ)の全体像についてお話ししましたが、今回はその中でも最も原始的だとされる「創期ヤマトマス(グループA)」についてなるべく分かりやすく書いてゆこうと思います。


1 「創期ヤマトマス」とは?

(図1 出典:鹿児島県自然環境保全協会「Nature of Kagoshima vol.47」2020年 6ページ)

この図の中心、赤丸の部分がグループA「創期ヤマトマス」です。日本のヤマメやアマゴ等の歴史はこのグループから始まったと考えられます。


またさらにグループAの中にA1~3の3つの小さな丸があります。これら3つは遺伝学的にかなり近い種であることを示しています。


どれくらい近いのかと言うと、岩槻教授が調査に用いているヤマメ・アマゴ等の体内にあるミトコンドリアのとある場所(サイトクロームb)の中の1,141塩基もある遺伝子の内、1塩基だけ違うという意味です。1/1141です。これだけ聞くと何だかかなり近いという気がしてきますね。


ただ、この1つの違いが大体どれくらいの期間で発生するかというと、おおよそ2万年(!!)かかるのだそうです。2万年かかって遺伝子1つの変化です。やっぱりこれはもとんでもなく長い年月ですね。



そしてこのA1~3の3つの中でどれが一番古いかというと、やっぱりA1だそうです。


それは、それぞれの生息域から類推されることで、A1の個体は日本列島ではポツリポツリと散在的ですが、それでも北西大平洋全体に生息しているのに対して、A2は日本列島の西南部のみとかなり限定的になり、


(図2 出典:水産庁・全国内水面漁業協同組合連合会「渓流魚の放流マニュアル」2008年 13ページ)

A3は従来言われてきたいわゆる「大島ライン」のヤマメ域にのみ見られます。加えて、台湾で「国宝魚」とまで呼ばれ、とても大事にされているタイワンマスもこのA3です。



つまり、一番原始的なヤマメ・アマゴ等である「創期ヤマトマス」の中でも、A1の遺伝子タイプの個体群が初めに日本にやってきて、その後、長い年月をかけてA2,A3の個体群が発生し、日本の各地で分布・生息するようになったと考えられるのです。


また、A1とA2では個体によって朱点があったりなかったりし、A3は朱点がない個体が多いのも特徴です。つまり、朱点の有無でヤマメとアマゴという別の魚として区別することは遺伝学的には適切でないと言えるのです



 2 「いつ頃」「どこに」やってきた?

※(注)イメージ図です。地図等正確なものではありません。


創期ヤマトマスが「いつ頃」日本にやってきたか、それはズバリ、今から約258万年前頃だと思われます。


この「258万年前」とは、地質学で言われる更新世(こうしんせい)が始まった時代であり、ここから地球全体が大規模な氷河期、また氷河期と氷河期の間の比較的暖かい時代である間氷期(かんぴょうき)を繰り返すことになります。


この大規模な氷河期に、創期ヤマトマスは今の朝鮮半島東側やロシアの大陸側に沿って南下してきた可能性が高いかもしれないのです。


そして「どこに」やってきたか。これは、日本列島の西南部、特に九州地方の可能性が高いと思われます。


現代人の感覚からすると、北海道や東北地方から海沿いに南下したのではないか、と思われるかもしれませんが、それはおそらく違います。


なぜなら、地質学的な時間の感覚から見ると、北海道や東北地方は「つい最近まで」陸地ではなかったからです。


ネットでこのことを検索すると、800万年前から200万年前くらいの間で北海道や東北が海上に隆起している地図を見かけることもあると思います。


しかし、2011年に発生した東日本大震災の後、原子力発電環境整備機構(NUMO)が2017年に行った断層や地質調査のための大規模なボーリング調査の結果、東北地方や北海道の南部は約150万年前までは海上に多くの活火山が海上に顔を出している程度の、「多島海」に過ぎなかったことが判明したからです。


この頃熱かった火山の島々には創期ヤマトマスが生息出来るような環境はなく、遺伝学的に判断してもっとずっと古い時代のDNAを示している創期ヤマトマスはやはり大陸や半島から既にその頃冷えた陸地であった日本の西南部にたどり着いた可能性が高いのです。


そして、年月を経るにつれ、西南日本から北上しながら創期ヤマトマスはその生息範囲を拡大していったものだと考えられます。(Iwatsuki et al.,2019の解説 ; 岩槻ら,2020)


また創期ヤマトマスは遺伝学的にもいわゆる「ヤマメ」と「アマゴ」になる前のトラウトであり、同じ遺伝子タイプでも朱点があるものも、また朱点がないものもいます。


また今後、書かせていただきますが、遺伝学的に今言われている「ヤマメ」と「アマゴ」が分かれたのは129万年前、つまり現代と更新世のちょうど中間あたりの出来事だそうです(Crête-Lafrenière, A, L. K. Weir and L. Bernatchez. 2012.)。


いずれにせよ、縄文人が日本列島に住み始めたのが1万5千~7千年前ではないかとされているのに比べると、彼らの方が我々よりよっぽど先輩なのは間違いないですね。



 3 創期ヤマトマスってどんな見た目?

おそらく、ここまで読んでいただいた方たちからすると一番興味があるのは、「創期ヤマトマスってどんな見た目?」ということではないでしょうか。


この点については若干残念ですが、「〇〇タイプは〇〇という見た目の特徴があります。」とはっきり区別は出来ないそうです。


それでも大まかな傾向だけを書かせてもらうと、


(1)(楕円形でなく)まん丸いパーマークは創期ヤマトマスの可能性がある。


(2)見た目にキレイではない、グチャグチャしたパーマークは(創期ヤマトマスに限らず)、在来魚の可能性がある。


ということです。


特に(2)については、遺伝学的な話しというよりも、ヤマメ・アマゴの養殖業者の方々がなるべく黒点が少なく、キレイな楕円形のパーマークのヤマメ・アマゴを増やして出荷する傾向があるからとのこと。つまり、一般的に釣り人などがそういう模様の魚を好むからなんでしょうね。




「最古のヤマメ・アマゴ」である創期ヤマトマスですが、最古の種だからといって絶滅しているわけでもなく、今でも各地に生息しています。


それだけではなく、創期ヤマトマスの子孫たちであるグループB~Fのヤマメ・アマゴなども混在している河川も多く、その見た目だけで判断するのは難しい。専門家によるDNA鑑定が必要だというのが現状です。


従来のようにハッキリ・クッキリとヤマメとアマゴの生息境界線があるわけではなく、「朱点がない=ヤマメ」「朱点がある=アマゴ」という単純な理解は誤っているということが判明した。


現実はこれよりずっとずっと複雑だということが分かってきました。また逆にそれだからこそ未知のロマンにあふれているとも言えます。彼らのことをきちんと整理して後世に伝えるのはきっと私たちの世代の役目でしょう。そのために私たち釣り人にも出来ることはまだまだきっとたくさんあります。


この前、岩槻教授と話していた時、ふとおっしゃった言葉があります。


「私はね、彼らが日本に最初にやってきたのは多分〇〇川だと思うんですよ。」


と、九州のとある有名河川の名前を挙げられました。こんなことが立証される日もそれほど遠くない未来に来るかもしれませんね。


(文・写真 KUMOJI)


<出典>

米良鹿釣倶楽部

米良鹿釣倶楽部は、釣りを通じてトラウトの学術研究に対する協力および漁協活動の支援を行うNPO法人です。

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